minatoflare144’s diary

アウトプットの練習

嫌味と僻み

  同じ発言でも、言った人がどんな人か、聞く側がどんな人か、によって感じ方は異なります。

 僕が中学生のときの話ですが、ソフトテニス部で活動をしていたとき、勉強ができることと頭がいいことはイコールなのか、という話をよくしていました。ここであがったのは、成績がいいことと、考える力は別だ、ということでした。

 何事もそうですが、考えながら取り組まないと、成長しません。ソフトテニスも、ただ闇雲にラケットを振るだけなのと、考えて、うまくいかない点を探し出してラケットを振るのでは、当然後者の方がうまくなります。後者のような練習をできる人が、「頭がいい」と言えるでしょう。頭を使って練習しているのだから当然ですよね。

これで、成績がいい人ほどうまいのであれば、勉強ができる人=頭がいい人、ということになります。

 しかし、傾向としてそのようなことはあまりありませんでした。その中でも特に成績が悪いがソフトテニスがうまかった先輩が「勉強ができれば頭がいいってわけじゃない」と言っていました。たしかにそれはその通りだと、当時成績がよくなかった自分も思いましたが、それとは別に、「これってただ成績のいい人に対する僻みなんじゃないの?」とも思いました。

 では、成績のいい人が「勉強ができれば頭がいいってわけじゃない」と言ったとしましょう。すると、成績の悪い僕にはたちまち嫌味に聞こえてきます。

 成績に関していい悪いの二極化をするのは実質不可能ですが、あえて人はそのどちらしかいないとするならばこんな感じになります。

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 このように言う側・聞く側の立場によって、受け取り方がかわることは、たくさんあると思います。だいたいのものは、立場が下の者には嫌味に聞こえ、立場が上の者には僻みに聞こえます。

 この件に関して一度僕の出した結論としては、「口は災いの元」として、余計なことは言わないに限る、というものです。

 しかし、そうすると、最終的に話せることは何もなくなってしまいます。

 会話をするには、そこまで深読みをせず、てきとうに聞いててきとうに話す、位のスタンスでいるのがいいのかもしれません。

 

おわり