minatoflare144’s diary

アウトプットの練習

杉下右京は細かいことが気になる

 違和感を感じるって、日本語として間違っているんですよね。正しくは、違和感を覚える、なんですよね。相棒の杉下右京は状況の食い違いなどをとても気にしていますが、僕は日本語の間違いをとても気にします。

 他によくあるこの手の間違いは、定番の「頭痛が痛い」ですね。同じものを文章中で二度繰り返すタイプのものですね。この手の間違いは本当に気になります。馬鹿丸出しですからね。

 僕はそういう間違いをしている人がいると、訂正せずにはいられません。間違っているのだから、訂正してあげるのが正しい行動だと思っていました。しかし、実はこれはお互いにとって不利益になる行動です。いちいち指摘するのも疲れますし、言われるほうは嫌な気分になります。だから最近は「あの人間違えているな、でもまあいいか。自分は正しく使うけど」と思うようになりました。

 

 言語って使っている人たちによって変化していくんですよね。雰囲気のことをふいんきって言う人たちのことを僕はバカにしていますが、多くの人がその言い間違いをすれば、いずれそれが正しいものとなるのです。僕は日本で最後の違和感を覚える、と言う人であろうと思っています。しかし、他人の間違いを訂正する気はもうありません。面倒なんで。でも、こうやって指摘する人が減っていくから、言語は変化していくのだと思います。これは、進化ではなく、衰退です。しかし、衰退も変化であることにはかわりないため、変化という言い方をしました。

 たとえ間違っていたとしても、それが多数派であれば、正しいものとなります。白いものがあったとしても、多数派がそれを黒と言えば、それはもう黒なのです。多数決の国なので、そこは仕方ないのですが、正しいことを言っている人たちが虐げられている状況をどうすることもできないのは、とても悲しいことです。

 

 そんな僕でも、間違っていると思いながらつい間違ったまま使ってしまうものがあります。

 それが「全然違う」です。「全然」のあとには、否定形がくるんですよね。「ダイエットをしているのに体重が全然変わらない」みたいな感じです。だから、「全然違う」の場合はおそらく「全然同じじゃない」なんでしょうね。ただ、本当の正解はいまだにわかりません。「全然違う」の正しい言い方がわかる人、誰か教えてください。

 

 さて、「全然違う」に関しては、自分でも間違っているということを理解しています。しかし、おそらく自分でも間違っていると理解できていない間違いも、僕はしているのだと思います。

 結局、自分は正しい使い方をする、というのは自己満足でしかないのかもしれません。自分は、日本語を正しく使いたいので、僕が間違っていた使い方をしているときは、指摘してほしいと思っています。しかし、前述したとおり、いちいち指摘するのは疲れる、という理由で誰も指摘してくれないのでしょうね。

 

 このお互いに相手に干渉するのを面倒とか、疲れる、とかそう思っているから、近年コミュニケーションがどうとかいう問題もあるのでしょうね。そして日本語もどんどん衰退していきます。

 

 グダグダになってきたのでおわりにします。またもまとめに失敗。いいタイトルも思いつかないですし。

 

 最後に、それでも僕は「違和感を覚える」と言い続ける。

 

おわり

 

 追伸:「一番最後」って表現をしていたら、Wordさんに青線で指摘されていたので

直しました。さっそく自分でも気づいていない間違いですね。

 

今度こそおわり