minatoflare144’s diary

アウトプットの練習

愛と金

 愛に金は必要なのでしょうか。真実の愛に、金はいらないとか、映画とかの影響で勘違いしてしまう人は多いと思います。

 プレゼントを買ってあげるとか、ちょっといいレストランに行くとか、そういうことをするのには、当然金がかかります。対して、一緒に散歩に行くとか、家で一緒にテレビを見るとか、そういうことには、あまり金は必要ありません。

 これらの、どちらが本当の愛に近いものなのでしょうか。おそらく、後者のほうが真実の愛だと思う人が多いでしょう。僕もそう思います。こうして考えると、真実の愛に金は必要のないように思えます。

 しかし、これは、段階を踏んだ結果たどり着いたものであると考えます。最初からそんなほとんど金を使わない関係は、起伏もなく、刺激もほとんどないため、長続きしないでしょう。

 金を使わないで楽しめる関係になるには、おそらくそれまでにしばらく金を使った遊びを経て、それに疲れた頃でしょう。

 結論としては、真実の愛に金は不要かもしれないが、そこにたどり着くまでは、ある程度の金が必要だということです。もちろん、金さえあれば最終的に真実の愛にたどり着けるというわけではありません。

 

 話は変わりますが、愛と金は相関関係にあるものなのでしょうか?

 愛を金に変換することはできません。愛を原動力として金を稼ぐということはあるかもしれませんが、それをすることによって愛が失われるというわけではありません。よって、愛から金には変換できないでしょう。

 では、金を愛に変換することはできるのでしょうか?これは、おそらくできます。

 「愛をこめた」と言って路傍の石をプレゼントされても、愛を感じることはできないでしょう。愛をこめるにしても、やはり込める媒体に金をかける必要があります。

 魔術を行うのに、ただの石を触媒にするのと、それ専用の石を触媒にするのでは、当然後者のほうがいいように感じるでしょう。

 愛という魔術を使うためには、それなりの触媒が必要ということです。

 しかし、必ずしも触媒が高価であればいいというわけではありません。相手と、自分との関係の段階をよく考えなければなりません。たとえば、最初からいきなりものすごく高価なものを渡した場合どうなるでしょう?「金づる」と思われて終わります。逆に、婚約指輪をとても安価なものにしたらどうでしょう?冷めます。極端な例しか提示していませんが、状況に合わせた触媒を用いなければ、愛という魔術は失敗します。

 たしかに、金を愛に変換することは可能です。ですが、いたずらに金をかければうまくいくわけではありません。相手と状況に合わせてうまく使いましょう。

 

1000字超えたのでやめます。愛を知らない人間が愛について書くのは難易度高すぎました。完全に空中分解しましたね。

 

おわり